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- Xで1200万超インプレを記録した「北斎アカウント間違え」ポストが、江戸時代の”垢分け文化”を掘り起こした。
- 葛飾北斎は健全な浮世絵・春画・激しめの春画で名義を使い分けており、春画専用の別号「鉄棒ぬらぬら」は後世に広まった通称。実際の奥付署名は「紫雲菴鳫高」。
- 春画専用の隠し名義を持つのは北斎だけでなく、広重・国芳・英泉など江戸絵師全般に広まっていた業界の慣行だった。
SNSを使っているなら「垢分け」という言葉に聞き覚えがあるはずです。趣味用・日常用・鍵垢と、アカウントを目的ごとに使い分けるあの習慣のことです。
じつはこれ、江戸時代にも存在していました。しかも実践していたのが、「神奈川沖浪裏」を描いた葛飾北斎だったことがXで何度も話題になっています。「北斎が春画専用の別名義”鉄棒ぬらぬら”を持っていた」──この話、春画関連の投稿が盛り上がるたびに繰り返し拡散され、1000万インプレ超えのポストが何本も生まれています。
「本当にそんな名前だったの?」「実際どんな絵を描いていたの?」「北斎だけなの?」。今回はそのあたりを一次文献から整理しつつ、現代のSNS文化との接続まで深掘りします。
北斎の「3つの名義」──何をどの号で描いていたか

北斎は生涯で30回以上改号したと言われる「改号魔」でした。ただ単に気分で名前を変えていたわけではなく、ジャンルや発表の場に合わせて名義を使い分けていたことが、美術史の研究からわかっています。
一般に広く知られる「葛飾北斎」名義では、「富嶽三十六景」シリーズ(1831〜1833年)の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴(赤富士)」といった風景版画、そして「北斎漫画」(全15編)のような百科全書的な絵本を発表しています。どちらも今日の北斎のパブリックイメージを作っている作品群です。
一方で北斎は春画も大量に描いており、そちらでは別の名義を使っていました。代表作は『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』(1814年)という春画集で、全3巻のうち下巻に収録された「蛸と海女」が世界的に有名です。英語圏では「The Dream of the Fisherman’s Wife」という名で知られ、現在も大英博物館のコレクションに所蔵されています。
「蛸と海女」がほかの春画と一線を画すのは、絵の中にセリフと地の文(詞書)が細かく書き込まれている点です。蛸と海女の会話やモノローグが画面に直接描き込まれており、現代の漫画表現に近い構成を1814年の時点で実現しています。大英博物館が2013年に開催した春画展ではポスタービジュアルに採用され、今日の「北斎の代表作」の一つとして確立しています。
「鉄棒ぬらぬら」はどこまで本当か──一次文献から確認する

Xで広まっている「鉄棒ぬらぬら」という名義について、正確なところを整理しておきます。
「北斎が春画専用の別名義を持っていた」こと自体は、美術史の研究者の間では確実視されています。根拠となる一次文献は、1893年に出版された飯島虚心『葛飾北斎伝』です。同書は北斎の複数の画号を記録しており、後の研究者たちもこれを継承して春画号の存在を認めています。
ただし細かく言うと、代表作『喜能会之故真通』の奥付に実際に記されている署名は「紫雲菴鳫高(しうんあんがんこう)」です。「鉄棒ぬらぬら」は、北斎の春画号として後世に広まった通称・別称であり、「紫色雁高(ししきがんこう)」など複数の春画号が研究者によって確認されています。
「鉄棒ぬらぬら」という語が実物の署名として直接確認されているかどうかは、飯島虚心の原典や学術図録を当たらないと断言できない部分もあります。ただ研究者が一貫してこの名を北斎の春画号として言及していること、そして語の意味からして北斎の作品に付随する隠号として自然であることから、「全くの作り話」という可能性は低いと考えられています。
いずれにせよ、「葛飾北斎が一般の浮世絵と春画で名義を明確に使い分けていた」という事実そのものは揺るぎません。
北斎だけじゃなかった──江戸絵師みんなが「隠号」を持っていた

ここで重要な補足が一つあります。春画専用の別名義を持つのは、北斎に限った話では全くありませんでした。
江戸時代、春画は幕府の取り締まり対象でした(享保の改革・天保の改革など)。絵師たちが「陰号(いんごう)」と呼ばれる隠し名を使うのは、業界全体に広まった自衛の慣行でした。署名を省略するか、本名とは切り離した別号を使うかの二択で、多くの絵師が後者を選んでいます。
それぞれの隠号を見ると、絵師の個性が如実に出ていて面白いです。歌川広重の春画号は「色重(いろしげ)」──「広重」の「重」の字に「色」を前に置いただけの、シンプルな一字洒落です。歌川国芳は「三返亭猫好」「五猫亭程よし」など、猫絡みの名前を複数使いました。無類の猫好きとして知られた国芳らしいユーモアが滲み出ています。渓斎英泉は「淫乱斎英泉」「淫斎白水」と、洒落をきかせる気もない直球の名前を使っています。
つまり「北斎が特別に垢分けしていた天才絵師」というよりは、当時の絵師が広く行っていた業界の慣行のひとつでした。それでも北斎の「鉄棒ぬらぬら」という響きが特に語り継がれているのは、インパクトが群を抜いているからでしょう。
垢分け文化200年──現代のSNSと何が同じで何が違うか

現代のSNSにおける「垢分け」と、江戸絵師たちの「陰号」を比べると、動機の構造は驚くほど似ています。
現代の垢分けの理由は大きく三つです。「見せたい相手が違う(職場には見せたくない趣味アカウント)」「ジャンルごとにTLを分けたい」「本名と切り離したい」。江戸の絵師たちも同じで、「一般の浮世絵ファンには見せない成人向けコンテンツ」を別名義で発表し、本名との紐付きを断ちたかったわけです。
ただ決定的に違う点があります。江戸の隠号は「発覚すれば処罰される」という外圧から生まれたものですが、現代の垢分けは外圧がなくてもユーザーが自発的にやっています。プラットフォームが一つになったことで「全ての自分を一つの場で管理しなければならない」という重圧が生まれ、垢分けはその解決策として定着しました。形は同じでも、そこに働いている力はまったく逆向きです。
それでも「場所と文脈によって出す顔を変えたい」という人間の根本的な欲求は、200年前も今も変わっていません。北斎の「鉄棒ぬらぬら」がXで何度も話題になり続けるのは、そこに共感の核があるからかもしれません。
「蛸と海女」を今すぐ見る方法

「実物を見てみたい」という方には、現在いくつかのルートがあります。
最も手軽なのは、国際日本文化研究センター(日文研)が運営する艶本資料データベース(lapis.nichibun.ac.jp/enp)です。450点超の春画・艶本をデジタル公開しており、北斎の『喜能会之故真通』も登録されています。以前は成人向けの年齢確認が必要でしたが、現在は撤廃されています。大英博物館のオンラインコレクションでも「Kinoe no Komatsu」で検索すると所蔵作品の画像を確認できます。
書籍では『大英博物館 春画』(小学館)が最も充実した一冊です。2013年の大英博物館春画展の完全版図録で、ティモシー・クラークら国際的な研究者が編集に参加。5カ国20機関の名品400点をオールカラーで収録しており、北斎春画の学術的な解説も充実しています。
展覧会は定期的に開催されています。直近では2024年に京都・細見美術館で「美しい春画──北斎・歌麿、交歓の競艶」が開かれ、北斎の肉筆春画「肉筆浪千鳥」が日本初公開となりました。常設で北斎作品に触れられる施設としては、東京・両国のすみだ北斎美術館があります。春画の常設展示はありませんが、北斎の画業全体を俯瞰する上では抑えておきたい場所です。
関連リンク
- すみだ北斎美術館(公式):https://hokusai-museum.jp/
- 国際日本文化研究センター 艶本資料データベース:https://lapis.nichibun.ac.jp/enp/UserMenu



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