「みんながいなかったから楽しかった」──おもしろフラッシュ時代のインターネット論が46万表示のバズ

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「おもしろフラッシュが流行っていた頃からインターネットを見ていて、当時は『こんな楽しい世界、みんなも来ればいいのに』と思っていたけど、あれはみんながいなかったから楽しかったんだ」

Xユーザー・いとととさん(@itototo1010)のこの一文が、2月25日に46万表示・1.2万いいね・2,400件リポストのバズを生み出しました。

「おもしろフラッシュ」とは何だったのか

2000年代初頭、Adobe Flash(現在は開発終了)を使って作られた短い動画・ゲーム・アニメーションがインターネットに溢れていました。「しぃのうた」「恋のマイアヒ」「ゴノレゴ」「人生オワタの大冒険」など、今も語り継がれる作品が次々と生まれた時代です。

当時のインターネット利用者はまだ少数派で、接続するにも高いハードルがありました。「ネットをやっている人」というだけで、ある種の共通言語と文化的感性を持ち合わせていた時代です。

「みんながいなかったから楽しかった」という逆説

このポストが指摘する構造は、非常に鋭いものです。

「もっとみんなに知ってほしい」と思って広めようとしたコミュニティが、実際にみんなが来ることで変質してしまう。これは「コミュニティのジレンマ」とも呼ばれる現象で、インターネット黎明期に限らず、あらゆるサブカルチャーが直面してきた問題です。

ニコニコ動画も、Twitterも、インスタグラムも、「初期ユーザーだった頃が一番楽しかった」という声は後を絶ちません。少人数だからこそ生まれる「仲間感」「空気感」は、規模が大きくなるにつれて希薄になっていきます。

インターネットの「大衆化」がもたらしたもの

フラッシュ文化が花開いた2000年代初頭、ネット人口は今と比べてはるかに少数でした。技術的なハードルが高く、情報へのアクセスにも手間がかかりました。だからこそそこにいた人たちは、似たような好奇心と感性を持つ者たちの集まりでした。

スマートフォンの普及とSNSの台頭で、インターネットは「ほぼ全員が使うもの」になりました。これは間違いなく社会を豊かにしましたが、「文化祭のような」あの感覚——参加者全員が「同じ何か」を共有している感覚——は二度と戻らないものでもあります。

それでも「小さなインターネット」はある

ただし、この現象は今も繰り返されています。まだ人が集まりきっていない「発見段階」のコミュニティは、今この瞬間も存在しています。特定のDiscordサーバー、マイナーなゲームのコミュニティ、小さなクリエイターの界隈——その中には今もあの頃の「文化祭感」があるはずです。

「みんながいなかったから楽しかった」という言葉は、単なる過去への郷愁ではありません。「今も、小さいうちに見つけた場所を大切にしてほしい」というメッセージとして読むこともできます。

あなたにとっての「みんなが来る前のインターネット」はどこですか。

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